purple diary

お料理と服と頭の中の記録です。

秋晴れ

数週間も続いたくすぶりまくりな空模様でしたが、久しぶりな快晴、秋晴れ!

洗濯物を干しながら汗かきました。

 

昨日、おばあちゃんが天国に旅立ちました。

 

偶然とは分かりながらも、おばあちゃんと今日の秋晴れに、何か意味や繋がりを見出そうとしちゃうのがドラマチック好きな人間の性です。

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ちょうど一昨日の夜、おばあちゃんと最後に話した7月のお見舞いを思い出していたのです。そんなタイミング。

(それ以降は植物人間状態で話せなかった)

7月のお見舞い、病室を出る時、

「みんな毎日来てくれて…おおきに。」

と、私とお父さんに言ったのでした。

それが私が聞いた、最後のおばあちゃんの言葉になりました。

 

その後は、意識もあるんだか無いんだか、ごはんも食べれないし、寝たきりで目の焦点も合ってないし、管繋がれまくりだし、人工的にただただ生かされているだけのような、

昔、何百万円の着物を着て極道の妻よろしく、キメにキメまくり、結果、浮きまくった出で立ちで、私と弟の運動会にバッチリメイクで来ていたおばあちゃんの面影なんてありゃしませんでした。

 

だから昨日、心拍数も呼吸数もゼロになった時、

悲しかったけど、でもどこか冷静で、

管を数ヶ月ぶりに外し、化粧もしてもらって綺麗になった姿を見た時はなんだかホッとしました。

 

 

泣いてると、

「人間いつか死ぬんやから、メソメソ泣いとってどないすんの!あかんたれやなぁ」

って怒られそうだなぁだとか、

喪服もろもろちゃんとした礼服が全然無い事に際しても、

「ゆみちゃん、三十にもなってそんなんも無いんかいな!びんぼったれの子ぉやなぁ、おばあちゃんがええのん買ったろ!」

って笑いそうだなぁだとか、

おばあちゃんなら、きっとこう言うだろうなぁというのがすぐに頭の中に、おばあちゃんの声と共に再生されます。

ああ、こうやって、私の中におばあちゃんが残るのだなぁ、と、ぼんやりと、人の死というものを受け入れているところです。

 

「あの人が生きてたらきっとこう言うね」

と、遺された人々が口にするのを聞いて来ましたが、なるほどな、としっくりきました。

 

遺された人々の作り出した虚像でもありますが、

それは時に、迷ったり、立ち止まった時の判断基準になりますね。

先立つ人々からの大きなプレゼントのよう、

悲しいばかりでは無いのだなと思います。

 

 

おばあちゃん、おおきに。